仕事

【半年間で復帰】不安障害発症から復帰した36歳管理職の半年間

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こんにちは、オヤジローです
タイトルからして楽しくなる内容ではないですが、
現代社会においては珍しくもない症状です
この記事にたどり着いた人は症状を疑っている人、発症してしまい社会復帰したい人など
少なからず今の生活に不安を抱えている人かと思います

私自身、24歳で電気メーカーに就職し自分の周囲で休職する人や経験者を見てきて
「自分はかかるわけない!」と豪語していたのにも関わらず35歳で発症しました
(失礼ながら発症する同僚や先輩方を弱いや情けないなど偏見を持っていました)
家族、職場の同僚/上司の支援もあり復帰に至りましたが、
復帰に至るまでの半年間を記事に書きました
私と同じ境遇にある方は是非参考にしていただければと思います

【この記事を読んでほしい人】

  • 不安障害に発症して社会復帰を目指している人
  • 息切れ、動悸、手の震えなど今まで経験したことない症状が出始めた人
  • 部下、同僚で相談を受けた人

 

不安障害(神経症)は誰にでもかかる現代病

増え続けるこころの病気患者数

厚生労働省では「こころの病気」としてメンタルヘルスサイトを構築しており、
私が発症した不安障害もその一部に構成されています
2017年の記事になりますが、20年前に比べると患者数が増え続けています
重症/軽症のレベルもあるかもしれませんが、何百万人規模の病気は無視できない状況です
自分はかかるわけない、自分のチーム、部下にはちゃんとしてるから大丈夫
なんて他人事で考えていると突然症状が発症するかもしれません

かかりやすい人

こころの病気は数値化できない病気でもあるので、傾向でしか見えていません
精神科医、心療内科医、神経科医など多角的なアプローチで見てる中では
以下のような人がかかりやすいと言われています

  • 仕事の出来事
    昇進、降格、失業、仕事でのミス、定年
  • 家族の出来事
    妊娠、出産、子どもの就職や結婚、家庭内不和、離婚、近親者との死別や離別
  • お金の出来事
    貧困、税金問題、相続問題
  • 生活状況の変化
    旅行、引っ越し、転勤

当然の他の事由もあるでしょうが、多くの場合は環境変化がきっかけに見えます
個人的には5月病の究極系だと思っていますが、身体的に症状が出る前に早めに相談しましょう

現代病と向き合っていかなければいけない社会へ

私は1980年代生まれです
周りをみると、この世代の方は精神病と聞くと情けないとか弱いとか
非常にマイナスなイメージを持っており、負け組行きと思っている人が多いと個人的には感じています
一部の定年間近世代に理解のない方は多いと思いますが、今時は管理職研修などで
少なくとも「理解しなければいけない」ことが義務化されている企業が多いです
発症しないことが当然理想ですが、少しでも不安を感じたら気軽に上司や同僚に相談しましょう
何度も言いますが、心療内科に行くことや同僚に相談することは恥ずかしいことではありません!

私が不安障害に至るまでの原因と背景

前項ではあくまで一般論を記載しましたが、ここからは私の実体験です
同じ境遇にあたる人は是非ご参考にしていただければと思います

環境変化と追い付けない自分

5月になると憂鬱になる気分を多くの人は体験したことがあるでしょう
入学やクラス替え、組織変更で環境がかわり4月は対応することに必死だけど、
GWの長期休暇を経て急にやる気がなくなる現象(と私は定義)です
私が発症してしまう前の2,3年前から仕事・プライベートで劇的な変化があり
環境変化に追い付けていなかったのだと思います

管理職への昇進

34歳で一般社員からマネージャー職へ昇進しました
世間では早い方と言われており、一般社員のグレードを1段階飛び級して昇進しました
所属している会社では昇格試験がかなり厳しいもので、業務そっちのけで
自分がマネージャー職に就いたらこんなことができるというプレゼンを
4ヶ月程かけてやっていました(人生で一番残業したかもしれません)
昇進直後はてんやわんやで必死過ぎました
必死すぎてある意味充実していたものの、異変に気付かなかったのが後から感じたことです

プライベートの環境変化(結婚&出産)

32歳で交際開始、33歳で結婚、34歳で第一子が産まれ、プライベートが短期間で激変しました
幸せなことではありましたが、ゆっくり幸せを感じる間もなく34歳で父親になったとの同時にマネージャーにもなったので、
「一人(プレイヤー)で自由に生きる(働く)」から
「管理職(扶養者)として家族(部下)を守る」の立場になりました
仕事だけでなくプライベートも負荷がかかり、両立を目指していたのに
できない自分に嫌気が指していった気持ちが徐々に強くなっていったように感じました
まとめると、私が発症するに至った十分条件はこんな感じです

  • 環境の変化に追いつけていなかった(自覚なし)
  • 自分ならば環境の変化に追いつけると思ってた(若干の自信過剰)
  • 残業すればできるものの、育児にかける時間も必要で仕事の質が落ちていった
  • 自信を持っていた自分ができない実態を何度も感じるようになっていった

具体的な症状

不安障害はある日突然なるものではないと思っています
私の場合前兆はあったものの、あまり相談できずに最後は爆発しちゃいました

気分的なもの

  • ため息が多くなった
  • 楽しくなくなった
  • 食欲がなくなった
  • イライラして子どもにもあたるようになる(一度だけ怒鳴る)
  • オーラがやばい(後日の妻談)

身体的なもの

  • 会議や人と話す際に手が震えるようになる
  • 寝る前に動機がある
  • 不眠(寝つきが悪い + 眠りが浅い)

挙げてみるとかなりありますね
これだけ出ているのにも関わらず、周りに相談できなかったことが今思うと
失敗だったかもしれません

ある日堰が切れたかのような発症

失敗や締切を守らないことが増えていった時期が最後のフェーズでした
それでも周りは仕事を任せてくるのですが、ある日どうしてもできない業務が舞い込んできました
しかしながらそれをNoと言える選択肢が私にはなく、
「できないけど、やらなければいけない」という葛藤と戦っていたら突然発症しました
きっかけは妻に「できないなら上司に相談してみたら?」と言われたことです
今思えば、「すみません、この業務だけはできないんです」とだけ
伝えるニュアンスだったのですが、これまで溜まってきた不安や悔しい感情が
一気に込み上げてきて電話越しに上司に泣きながら相談することになりました

不幸中の幸いで、上司は他の人でも経験があったらしく適切な処置をしてもらい
その場の判断で2週間の休暇をいただきました
(入社してから初めての長期休暇です)
上司の指示としては、「仕事から離れろ」たったこれだけでした。
周りからどんな風に思われるのか、自分は鬱なのか、治るのか
など、色々頭を巡りましたが結果的には休養が一番必要としていた処置でした

復帰期間は生まれ変わるための保養&覚醒期間

心療内科、産業医、上司それぞれと何度も話を進め、最終的には復帰に至りましたが、
今ではみなさんに感謝しています

発症〜2週間

完全休養
とにかく休むことを重視して、仕事だけでなく家事・育児も妻に担ってもらい
私は自分自身の休息にあてました
運動、旅行、帰省、読書などリフレッシュできると思いついたものは全てしました

2週間〜4ヶ月

一次復帰
産業医や心療内科と相談し、業務量を抑えることを条件として復帰しました
2ヶ月ほどはなんとかできていましたが、何かをきっかけに手の震えが発症し
私は完治していないことを自覚しました
心療内科の助言では、発症したタイミングで何があったかをメモして
無意識にストレスと感じている出来事を探っていかなければ解決にならないと
しかしながら、原因を洗い出すことはできませんでした

上司と相談し、その間には転職・転部・ポストオフなど現状の環境やステータスをかえることを
前提に考えていましたが、環境を一度かえると戻ることが難しい、環境を変えた先で再発してしまえば
失職にもなるリスク
を考えてしまった結果、残留の選択肢をとりました
上司からはもう一度休養をとってみて、リフレッシュしてみてはどうかという提案があったからです
そこで、もう2ヶ月の休息を入れることにしました

4ヶ月〜6ヶ月

2回目の完全休養
最初の休息は2週間でしたが、4倍の期間の休息期間をいただきました
条件は一緒で仕事のことは考えず、とにかくリフレッシュできることに専念しました
今回の休息では、自分が元気でいれたことがなんでなのかを思い出し、
以下のことを試してみました

行動に至れてなかったことにチャレンジ

忙しさを理由にやりたいことはあっても、やらない理由をつくっては逃げていました
そんな自分をかえたくて言い訳を探さずに失敗を恐れずチャレンジスタンスをとることを心がけました
マネー知識をつけるために投資(証券口座の開設)、節税(太陽光発電)、
FPの勉強をしたり、ブログを始めたのもこれの一貫です

家事育児にもっと参画

妻は共働きなこともあり、時間に余裕ができた私が家事育児をメインにしました
これまでは空いた時間に洗濯や掃除や料理は少ししていましたが、
今まで避けてきた、というより自分では出来ない/向いていないと思うようなことも
積極的にやるようにしました
おかげさまで料理は今となっては趣味の一つです

自己啓発/自己研鑽の再会

自分の自信のなさは自分のスキル不足を感じる一つでもあったので
自分に自信を持つために自己啓発/自己研鑽を始めました
TOEIC、FP、読書3冊/週といった具合ですが、
結果を得るというよりかは習慣化できたことが収穫です

キャリアプランの設定

正直、私をここまで追い込む今の組織にはずっと居続けることはできない
というのが発症当初からの考えです
ただ、文句を言うだけでは何も変わらないのでキャリアプランで目標をセットし、
それを実現するために必要な材料を洗い出しました
私の場合は導き出した答えが家族での海外移住です
幸いなことに所属している企業では海外赴任のチャンスが多くあるため、
必要となるTOEICの点数と想いがあればあとはどうにかなります
そのため、担当業務とは別の目標ができたので、今は活き活きと毎日TOIECの勉強ができています

仕事に対するマインドチェンジ

休みの間に10冊以上の仕事に対する本を読みました
発症する直前までの自分の価値観がくだらないほどに今ではある意味
開き直って毎日を楽しむようにしています
組織に属している限り、自分はただの歯車です
自分が貴重な人材だと思っているのは自分だけです
替えなんていくらでもききます
そう思うと、昇進や人間関係の重要視していた考えから自分ファーストの考えに至り、
気持ちが楽になりました
決して、自分の人生を放棄したわけではありません
自分がいかに残りの長い人生を健康に家族と幸せに過ごすことができるかを
最優先に考えられるようになったかです
少し前までは家族よりも仕事をとっている人も多く、それが日本人の美徳だった道徳もありました
その考えを否定するつもりはありませんが、私はその考えでいると
幸せになれないと判断し、自分のやりたいようにやるマインドチェンジを図ってます

診断結果を受け入れて、新しい自分でリスタートしよう

半年は短いようで長い期間で、これまでの生活や考え方を一変させてくれる
貴重でいい期間でした

不安障害と診断された際は死んだと同義な気持ちにもなりましたが、
今ではこの状態になれてマインドチェンジできたことが逆によかったとも思っていますならないに越したことはありません
あなたのことを心配してくれる友人や家族がいるのであればなおさらです
しかしなってしまった場合は、現実を受け入れていかに楽しく幸せに生きることが
できるかを最優先してリスタートできるようにしなければいけません

最後に

長々と症状発症から復帰までを書きましたが、要所要所での出来事についての
記載が薄くなってしまったと感じています
本記事がある人の支えになっていただければ幸いで、
また自分自身のいい人生の分岐点になったので、記録のために
それぞれの時代について今後記事にしていきたいと思います

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  • この記事を書いた人

オヤジロー

一部上場企業管理職30代サラリーマン。【経歴】富山出身 ▶︎ 社会人を機に上京(川崎市在住) ▶︎ 30台前半で一部上場企業の管理職に昇格 ▶︎ 2022年4月 ブログ開設 ▶︎ FIRE目標。妻・子1一人。子育て、投資、自己啓発・自己研鑽趣味。旅行・家電・ジョギングが好き。

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